仕事終わりの現場、周りに人がいる環境だが建物の影は少し隔離された空間になっていた。
少し離れたところには、最近親しい友人ができたとうれしそうに話してくれた、愛しい恋人の姿があった。
まさに今、ストーリーテラー仲間だというその新たな友人たちにみせる無邪気な姿に、こちらも自然と口の端が上がる。
「あのっキリアさん」
ふと、聞こえた声に目の前の少女へと意識を戻す。
村娘役の愛らしいその少女は何度か競演したことがあった。
「ああ、ごめんね?それで、お話って何だったかな?」
ゆるりと安心させるよう返事をすれば、相手の頬が赤く染まった。
(うーんわかりやすいなあ)
嫌悪の感情の他に好意を寄せられることも間々あるので、こういった場面も珍しくない。
「これ、クッキー焼いたんです。私、キリアさんの……ファンで、あの」
そういってうつむく姿は、明らかな恋愛感情のそれにみえる。
それでも、彼女がファンと言うのだからわざわざ余計なことを言う必要はない。
にこりと笑って手を差し出す。
そのとき、少女の後ろに愛しい人の視線を感じた。
(あ、ルゥちゃんこっちみた!)
いろいろな意味でどきりとして、じっとそちらをみると彼女はニコッとして小さく手を振った。
「……」
これは……心が広いというのか、信用されているととらえたらいいのか。
または異性から好意を寄せられている場面であっても、ファンとの交流と思っているのか。
(いや、ルゥちゃんて自分のことは鈍いとこあるけど、回りのことにはすぐ気がつくし)
しかしあの様子では全く気にしていないようだ。
「ちょっとは妬いてくれたっていいのに…」
「え?」
「うん?ありがとねーいただきます」
「あ、はい!……えっと、し、失礼しますっ」
少女が自身のストーリーテラーの元へ駆けていくのを見届けて、こちらも歩き出す。
新緑の美しい、若々しい葉が芽吹いた樹の下でルゥとその友人たちが談笑していた。
一人は赤い髪をきゅっと結った利発そうな少女で、もう一人は元気のよさそうなルゥと同じくらいの背丈の少年だった。
愛しの彼女はというと、なにかお菓子を頬張っているようだった。
「ルゥ、どう?おいし?」
赤い髪の少女が小首をかしげ、いたずらっぽく笑いながらルゥにたずねる。
「んー!美味しい!上品な甘さだね。まだあったかい!」
「朝時間ギリギリで、焼けたやつをそのままつめてきたからかな」
少女の問いかけに答えたルゥに、照れたように少年は頬をかいた。
(人前であんな顔されちゃうと心配なんだけど)
すぐに嫉妬心が顔を出し、いけないと押さえつける。
ルゥのずっと望んでいた親しい友人なのだ。
ここのところ、彼女はそれはうれしそうに二人のことを話していた。
笑顔でよかったねと聞きながら、そのたびにもやもやしていた自分の心の狭さにさらに落ち込んでいたのが近況だ。
「ルゥーちゃん、おまたせ」
「あ!キリア!お疲れ様」
少し驚いた顔をして慌ててこちらへ駆けてくる相手に、不覚にもときめいてしまう。
「ごめんね、お取り込み中だった?」
「いや、えっとね。さっきフィデリオにクッキーをもらって、アメリーにひとつ味見してみたらっていわれて食べていたの」
ルゥは体を二人の友人の方に振り返り、名前を呼ぶときにそちらに手を向けた。
二人もこちらを向き挨拶をした。
「いつもルゥちゃんから話はきいてるよ。俺はキリア・フェンリル、うちのルゥちゃんがお世話になってます」
「うちのだって!ルゥさん愛されてますねぇ」
「ちょちょちょちょちょっとキリアさん!?アメリーもにやつきながら言うのやめて!」
アメリーという少女に脇をつつかれ、ルゥは汗を流していた。
「そ、それより!これ!フィデリオが焼いてくれたクッキー!美味しいんだよ?」
必死に話をそらそうとしている彼女の話に乗り、少年のほうを向く。
「へえ、すごいね。よく作るの?」
「や、そんな作ることはないんだけど…この前お菓子もらったからそのお返しにさ」
「お返し?」
「外の世界のバレンタインの話をきいて、『俺も女子からお菓子ほしいー!』とかいってたから、人のいいルゥがトルテをあげたわけ」
アメリーの説明に、そういえば自分にもルゥがお菓子をくれたことを思い出す。
あのときは舞い上がっていたが、友人とはいえほかの男にも渡していたとわかるとまた負の感情がわいてくる。
それにこの少年はルゥの話を聞く限り、明るく元気で甘え上手のようだった。
(ルゥちゃん自覚ないだろうけど、こういう子に甘いもんね……)
「へえ、そうだったんだー」
「!?」
フィデリオに笑いかければ、顔を青くして固まってしまった。
どうもきちんと笑えていなかったらしい。
ベルやヨシュアによく言われる『目が笑ってない』状態のようだ。
(あーだめだ。ルゥちゃんのお友達なんだから、もっと冗談ぽく軽い感じにしなきゃ)
そのままルゥの腰に手を回して引き寄せる。
「ルゥちゃんは俺の大事なこだから、ほどほどにね?」
「は、はい!」
少年は余計に固くなり、顔を赤らめ、アメリーも隣できゃっきゃ言っている。
(あれーなんか余計に挑発したみたいになっちゃったかな……)
「っていたたたたた!?」
急に耳を引っ張られ、手の主であろう腕の中のルゥに視線を落とす。
「もおおおおおおおっおばか!!」
「ひゃっ!?いててっルゥちゃん!?」
顔を真っ赤にしながら、キッ、とこちらをにらむルゥに、場違いながらきゅんとする。
しかし、本人はかなりご立腹のようで、そのまま手首をつかまれ引っ張られる。
「フィデリオ、クッキーありがとう。アメリーも、今日はこれで帰るね。さてキリア、ちょっとお話があります」
「……はーい」
ルゥにずんずん引っ張られ、その場をはなれる。
お幸せにー!なんて笑いながら手を振るアメリーとフィデリオに、ルゥちゃんが、おぼえてろよー!なんて三流悪人みたいな捨て台詞を吐いていた。
彼らとは、純粋にふざけあえる仲なのだ。こういった表情、反応は自分は見たことがない。
心の中にまたよくないものが沈殿し始めているのを感じながら、ルゥの後をついていった。
森の中を進み、人気がなくなった頃、心からあふれ出す嫌な感覚についに足を止めてしまった。
「キリア?」
先ほどまで人前で恥ずかしいとか、フィデリオの厚意なのにと言っていたルゥちゃんは、少し心配げにこちらをふりむいた。
「……さっき俺も、ファンの子にクッキー貰ったんだ」
「遠くからなにか貰ってるのは見えけど、クッキーだったんだ」
「…それだけ?」
「へ?」
きょとんとした表情に、じれったさが募る。
静かで人の気配は遠く、手をつないで森の中に二人きり。
初めて心の内を話して、彼女が受け入れてくれたときの雰囲気と似ている。
だからなのか、自然と気持ちを口にすることができた。
「俺はね、ルゥちゃんが他の男と親しげに話してるだけで嫉妬しちゃうし、きょとんとした顔も、駆け寄ってくれただけでも愛しくて。
ルゥちゃんのことたまらなく好きなの」
「……う、うん……」
頬を染めながら顔をそらす仕草にたまらなくなり、そのまま砂糖菓子のように華奢な体を抱き寄せる。
額をあわせて、そらした瞳を覗き込む。
「でも、ルゥちゃんは俺が女の子に囲まれたり、プレゼントもらったりしてても平気そうだし……なんか…」
だめだ、これ以上はかっこ悪すぎて言葉に詰まってしまう。
自分はこんなに女々しく、心が狭かっただろうか。
「キリア」
話を促すようなルゥの視線に、自分の顔に熱が集まるのがわかる。
「俺ばっかり、ルゥちゃんを好きみたいで……なんか…こんな事考えてるのもかっこ悪いし、言うつもりはなかった…けど…」
「……不安?」
細くてやわらかい、大好きな手が俺の頬を挟んだ。
恥ずかしくて情けなくて、俯いたまま小さくうなずく。
「私だってさ、キリアが女の子といるとき、ファンとの交流だし大切にしなきゃとか、あからさまにキリアのこと好きだろうなって
娘が話しかけていても、ストーリーテラーなんだから笑って見守らなきゃとか日々思ってるわけですよ」
「……え」
相手の思わぬ告白に思わず顔を上げる。
真っ赤な顔で少し眉間にしわを寄せた様子は、一見怒っているようにもみえるが、彼女が今ものすごく照れているのだとわかった。
「私は……今までの経験上『表に出さない』ことは得意だけど、『表に出すこと』は苦手だから」
そういって彼女は少し視線をそらしてからこちらを見た。
「人並みにやきもちくらい………妬くよ」
「ルゥちゃん…」
「だから、キリアがそれで不安になるのもわかるというか、私のせいといえばそうなんだけ-----」
「あーーーーーーもう」
思わずそのままぎゅうっと抱きしめる。
気遣いの人で己より他を優先するけれど、こういった場面では甘くってちゃんと安心させてくれる。
彼女ははじめから、上から手を差し伸べるのではなく、同じ場所から一緒に歩いてくれた。
だからこんなにも盲目的に愛おしくて、大切だと思うのだ。
(たまんないわ、やっぱり)
「ルゥちゃんだいすき」
「……はいはい」
「もー!そんなあしらわないでもっとかまってよ!」
「狼なのに甘えたなんだから」
そういって手を伸ばしたルゥは、俺の髪をくしゃりとして、頭をなでた。
その心地よさに目を細めながら、少し低い彼女の首元に顔を埋めた。
「狼のオスって一夫一妻制だし、メスのためにエサを持ってきたり、子育てしたり愛情深いんだよ?」
「ふふっじゃあ子育ては楽かも……」
そこまで口にして急に黙る相手に、こちらも顔を火照らせる。
「ルゥちゃんとの子ぜったいかわいいいいいい!!!いつ?いつ作っても俺は大丈夫だからね!」
「お、おおおおおおばか!まだ結婚もしてないのに--」
「するでしょ?」
「ごはん食べるでしょ?みたいに言わないでください」
「あ、というか『赤ちゃんできたので結婚しまーす』のほうがお父さんも許さざるを得ないかもねー」
「とんでもないこと言い出したよっ」
こういったテンポのやりとりを好ましく思っているので、にこにことしていれば、相手はそうでもないようで深くため息を吐いた。
「あのね、キリア。赤ちゃんていうのはコウノトリさんが連れてくるものじゃないんだよ?」
「こどもじゃないからしってるよー!」
頬を膨らませ見つめると、やれやれといった顔をされる。
さっと吹き抜けた柔らかな風に彼女の髪がふわりと舞って、その可憐さをなお引き立て、こちらのいたずら心をくすぐった。
鼻をすり合わせてしっとりと耳元で囁く。
「ルゥちゃんは?ちゃんとわかってるの?」
「……はい?」
「赤ちゃんはどこからくるのか----」
「あーあーあーーーやめてやめてやめて!知らない!いや、知ってるけどっ知りません!キリアの馬鹿っ!!へんたい!もう口利かないから!」
耳まで真っ赤にして、目にはうっすらと涙の膜がはっている。
湯気でもでてしまいそうで、いじめすぎてしまったと思い頭をなでながら、ごめんねと謝る。
「だってルゥちゃんあんまりにもかわいいんだもん」
「だもんじゃない!女性にそういうことを言わないの!!」
「ルゥちゃん以外にこんなことしないから大丈夫ー」
「私に言うのも速やかにやめてください。というかなんで私に言うの!?」
「そりゃあ……」
まだ頬が上気している相手に、こんなこと言ってしまったらまた怒られるかもしれないなと考えながらも、言葉を続けた。
「ルゥちゃんとの子しか欲しくないもん」
「………!」
案の定、彼女は声にならない叫びをあげ、口を金魚のようにぱくぱくとさせていた。
『あーかーわいい』なんて思わず口にだせば、しっかりと怒られてしまった。
陽だまりの続く森の道は、いつかとは違い明るく暖かい。
けれど同じように心地がよいのは、隣にいてくれる愛しい君のおかげだろう。
おわり